集合と命題について

【目次】
1.集合と命題の背景
2.集合と命題の異なる役割
2-1.集合の優れた点
2-2.集合に対する命題の役割
2-3.命題に集合は必須ではない
2-4.集合と命題の混乱の原因
3.集合と命題を分けて学ぶ価値
3-1.数学の考える力を応用する出発点
4.集合と命題は切り離して考える

高校生になって数学Ⅰの冒頭で初めて集合を学んだ人は、初めは何のことやら訳が分からなかったことであろうと思います。さらに、命題、条件、証明などの言葉が登場し、集合と深く関係しているという印象を持つことはあったかもしれませんが、それらの概念の整理に苦労する人が多いのではないでしょうか。

ここでは、なぜ集合という数学でしか聞いたことのないような言葉、考えた方が必要なのかを振り返りつつ、集合、命題の考えた方について解説、整理していきたいと思います。

集合と命題の背景

そもそも、集合という考えた方は、数学の歴史の中でも割と新しい概念です。命題という概念が古くからあったのに対して、集合は、カントールというドイツの数学者が百数十年前に初めて提唱した概念になります。

普通に考えれば、多少なりとも古い考え方を学ばなければ、後から生まれた新しい考え方を学ぶのは難しいとも思いますが、往々にして、とても基礎的で洗練された概念というものは、古いものの価値をずいぶんと下げてしまうことがあります。集合はまさにそのような革新的な概念でした。集合の概念が提唱されて以来、数学は集合を基礎として再構築され、大きな発展を遂げました。そのため、数学の基礎としての価値からして、高校の教科書(数研出版、高校数学の教科書、以下同じ。詳しくは、高校数学マスター基本方針:参考にする教科書を参照ください)でも今では、数学Ⅰの単元「数と式」の中で分野「集合と命題」というように、命題の前に集合が説明されるようになっています。

ただ、だからといって、集合が完全無欠な考え方で過去の考え方がすべて要らなくなったかと言うと、そうでもなく、集合にも欠点や扱えない内容があり、過去の考え方には、それなりの価値が残されています。ここで言う価値の残されている過去の考え方とは、主に命題のことであり、だからこそ教科書にも分野「集合と命題」として、集合の次に命題が解説されていることになります。

集合と命題の異なる役割

集合の優れた点

数学は、間違いのないように正確に明確に考えることが基本となります。そのために、考える対象が何なのか、つまり、何を考えているのかを明確にする必要があります。言い換えると、一つの言葉で何かを表した時に、その言葉に何が含まれていて、何が含まれていないのか、それが曖昧では困るということです。そこで、集合として、その範囲と含まれている一つ一つの対象を明確にしょうというのが、カントールの基本的な考え方でした。そして、その集合の明確さ、正確さが、その上に成り立つ複雑な数学の理論の基礎になったわけです。

集合に対する命題の役割

集合は、数学で考える対象を明確化したと言いましたが、数学は、「はい、集合Aを明確化しました」で終わる学問ではありません。「集合Aを明確化しました」だけでは、「はい、そうですか」で終わってしまい、何の意味もありません。その後の「集合Aは、○○です」という○○の部分があって、それが正しいか、正しくないかという数学の議論が始まるわけです。例えば、最も簡単な例として○○に集合Bを入れたとして、「集合Aは、集合Bです」という主張は、たしかに数学の基本的な主張になっています。

つまり、数学を考えるには、集合だけでは足りず、「集合Aは、集合Bです」の「~は、~です」という部分が必要になるということが分かります。「~は、~です」の部分は、集合Aと集合Bの関係を表しています。このように、数学というのは、考える対象と考える対象の関係が正しいのか、正しくないのかを考えていくことに他なりません。この正しいのか、正しくないのかを判定する、考える対象とその関係を含めた主張全体を命題と言います。例えば、「集合Aは、集合Bです」、「集合ABについて、A=B」、「集合Aは集合Bを含む」、「集合ABについて、A⊃B」などは命題になります。

命題に集合は必須ではない

元々、カントールが集合を提唱する前には、命題はあっても命題の中に集合はなかったことになります。ただ、もちろん考える対象としての数や図形の概念はあったので、集合ほど明確化された対象になっていなかったというのが正確な表現となるかと思います。ここから分かる大切なことは、命題の前提として集合は必要ないということです。

集合と命題の混乱の原因

前述した通り、集合の重要性から現在の教科書では、命題の前に集合が解説されて、集合を前提とする命題の構成や命題間の関係が主に説明されています。一方で、集合を前提としない命題の説明はあまりされません。そのため、命題の前提には集合の考え方が必要であると誤解している人もいます。あるいは、混乱をきたして、集合も命題もごちゃごちゃになっている人もいます。

歴史的にも学問的にも、論理的に考えるために、物事を明確に文章にする、文章の中を明確に命題にする、命題の中を明確に集合などにする、という流れがあります。形式を詳細に整えるほど、正確に考えることはできますが、適用できる分野は狭まり、適用するための労力も必要になります。この順序を無視して学ぶために混乱が生じ、数学以外の学問への応用もできなくなってしまいます。

数学では、カントールが集合を発見し、その後、フレーゲ、ラッセル、ホワイトヘッド、ヒルベルト、ブラウワー、ゲーデルなどにより数理論理学が整えられて行きました。その際に、集合、論理式、量化記号、公理化などが発見、導入されると共に、それまでの論理学で用いられていた考え方や用語の刷新や再定義がなされました。そのため、命題という用語一つにおいても立場や文脈によって定義の揺れが生じているので混乱に拍車がかかるわけです。

集合と命題を分けて学ぶ価値

数学の中では、ほとんどの議論が集合を前提にしているのだから、あまり問題はないという意見もあります。けれど、数学の議論が少し難しくなってくると、集合を抜きにしてたくさん出てくる命題の全体像を整理するという視点は、数学の理解をとても助けてくれるようになります。

さらに、数学の中だけという限定をはずすと、集合は厳密ゆえに高度な数学を構築できますが、反面、その適用範囲は狭められてしまいます。一方で、命題は、あるいは、集合を用いない命題は、曖昧さを残しますが、反面、その適用範囲は数学に留まりません。

数学を数学の知識に通じることだけを目的にして勉強するか、くわえて考える力を鍛える一材料として捉えるか、にもよります。高校数学を学ぶ、数学を専ら用いることの少ない多くの人にとっては後者の視点が大事なことは明らかなことです。

余談ですが、数学は、事物の法則を探究する学問と言えます。つまり、数学は数だけの学問ではなく、幾何もあればその他に様々な考え方があります。もちろん、数学において、数は中心的な概念であり、最も興味深い研究対象ですが、そもそも、数こそ事物の法則を探究するための最も強力な道具に過ぎません。歴史的にも数学の新しい発見は、集合のように、大きな発見ほど既存の数学の外側からもたらされています。その意味では、数学の知識を深めるためにも、事物の法則を探究するという大目標を忘れない、後者の視点が私は大事だと思います。

数学の考える力を応用する出発点

話を命題に戻すと、高校数学を経ても、命題は数学の考え方だから他の学問には使えない、などという誤解で終わってしまっては高校数学を学ぶ意味はあまりありません。数学ほどの厳密性はなかなか担保できないですが、物事の考えを整理するために命題を用いることは、どのような学問でも最も標準的な考察方法です。

大方の学問が、不明確で割り切れないところがあるけれども、明確なところを割り切りながら考えなければ整理がつかないわけで、割り切ればそこには暗黙の命題が表れてきます。その絶対ではないけれども確からしい命題を意識的に捉えることができるか否かは、どの学問、さらにはどんな仕事においても考える力と直結することになります。

命題の前提には集合の考え方が必要であると誤解していては、このような視点にはなかなかたどり着けません。数学が得意な人で、このようなことに気付いた人は、ずいぶんその能力の応用範囲を広げて、考えることが得意な人になります。

集合と命題は切り離して考える

集合と命題は切り離して考えられます。

例えば、命題「2は4の約数である」や命題「三角形の内角の和は180°である」に、集合は用いられていません。少なくとも集合を用いずとも真偽の判定ができます。正確には、集合が発見される前に用いられていた論理学の手法、名詞で表されるような単純な概念やそれを基にした条件という考え方を適用することでも真偽の判定ができます。

さらに、数学以外に範囲を広げれば、命題「あなたは人である」、命題「鶏はすべて鳥である」に厳密な形で集合を用いることはできないでしょう。他方で、前述の単純な概念や条件は適用することができそうですが、集合ほどの厳密さは保証されません。

そして、命題「結婚には婚約が必要である」、命題「われ思う、ゆえにわれ有り」、命題「考えるならば対象がある」には、そもそも集合を適用するのは難しいのではないでしょうか。くわえて踏み込んで指摘すると、集合どころか、前述の単純な概念や条件を適用することも難しいのではないでしょうか。しかし、これらも命題であり、しかもすべて非常に正しい命題に感じられます。

他にも例を挙げると、多くの数学の教科書では、「真な命題の対偶もまた真である」ことを集合の包含関係を用いて証明しています。しかし、そのような証明は集合を用いずともできます。証明方法については、「対偶について」をご覧ください。

次に、命題についての説明をさらに詳しくしたいと思います。「命題について」をご覧ください。

参考文献:
「論理がはじめてわかる 新・論理考究」本橋信義,幻冬舎メディアコンサルティング,2016年9月27日

公開日:2019年3月23日
修正日:-